FC2ブログ

夢は叶えるもの 奇跡は起こすもの

夢は、ラッキーな誰かに神様が与えてくださるものではなく、自分自身が描いて、叶えるもの。.と信じて  毎日の出来事、家族の事を  綴っていきます。そこには、「愛」がある。
2020/02 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 

戦争の結果

welcome.jpg

今日もご訪問ありがとうございます。

台風の影響は、まだそれほど強くないが
気温が、40度近くなっている。
風もそろそろ吹き始めたが
新潟に最接近するのは、明日の夕方。

台風情報にかすんでいますが
今日は 終戦の日

私の親も叔父さん叔母さんも亡くなって
実体験としての戦争経験を聞く事は出来なくなった。
これからの時代 私のような人がほとんどになって、
戦争は、歴史上の出来事になって来ると思えます。

「もしかあんにゃ」この言葉を聞いたのは
小学2年生の時だった。

東京から転校してきたばかりで
方言はまったく知らなかった(^^ゞ
仮に知っていたとしても
子供が理解できるような言葉でもない。

担任の先生が
戦争の悲しさを伝える話だったと思う。
小学2年生の子供に
話して理解できるような内容ではなかったが、
先生は、戦争の悲惨さを何としても
伝えたかったのだろうと 今思う。

「あんにゃ」と言うのは
新潟の方言で 兄さん(長男)の事である。
「もしかあんにゃ」とは
長男がもしかして戦死したら
その役目を果たす次男やその下の男子の事を指す。

もしかしたら「もしかあんにゃ」だねと
長男が戦死する前には 使われない言葉だと思う。
家族はみんな生きて帰る事を願っているから。

結果として 「俺はもしかあんにゃだった」
長男に変わって責任を持って 家族を支えて行く
決断を込めた言葉でしょう。

先生は、この「もしかあんにゃ」だったと話された。
その話を聞いた時は、言葉の記憶だけで
内容については、良く分からなかったが、
記憶に残ったと言う事は、かなりインパクトのある
話だったのだと思う。

この言葉を理解したのは、
かなり大きくなってからだった。

新潟県だけの事か 
その他の地域でも有る事か分からないが
長男が戦死して、
弟が その義姉と結婚すると言う話も聞いた。
定かではないが、
この事を「なおる」と言うのだと記憶している。
それほど、昔の家の跡継ぎの位置が
重要とされた時代であったのだと
現代では、想像もつかない事が行われた時だったのだ。

個人の自由が認められる今
70何年前の時代の事は
私達には想像もつかない事である。

戦争の結果は、悲惨な形で残るものだ。




最後の文字2

過去の記事は
こちらから読めます
cat2.jpg

ブログランキング・にほんブログ村へ

にほんブログ村 その他生活ブログ ちょっといい話へ
スポンサーサイト






▽コメント

新潟の一部地域では40度を超えたところもあったと、ニュースでは伝えられています。
大阪は大きな影響はなく、台風10号は過ぎ去っていくことと思います。
今日も、明るい時間帯は雨は降っておりませんでしたし、風も強くはありませんでしたから、いつもどおりに散歩にも出られました。
 
戦争体験の話は、母から聞いた空襲の恐ろしさがいまだに強烈に印象に残っています。
真夜中でもいきなり空襲警報が鳴って、近くの防空壕へと避難していくのですが、その間もすぐ体の近くを焼夷弾が落ちていくのです。
もし当たりでもすればほぼ確実に命はなくなるのですから、文字どおり無我夢中で泣き叫びながら防空壕へと走っていったそうです。
そんな空襲が連日のように繰り返され、「今日は死ぬやろ」とそんなことばかり考えていたと、母は語っていました。
空襲警報の音がよほど怖かったのか、私が中学生の頃でも、つまり昭和40年代初めになっても、高校野球の開始と終了のサイレンのときは両手で耳をふさいでおりました。
 
父のほうは軍隊に志願兵として入隊したのですが、国内での訓練だけでしたので、生命の危険にさらされたことは一度もなかったようです。
それでも、日本が降伏したときは、米兵に殺されるとのうわさが飛び交い、死を覚悟したそうです。
しかし、実際には米軍に武装解除されたものの、食べものやお菓子まで支給されて、無事に実家に帰ってくることができたのです。
同じ米軍の行動でありながら、母のように一般市民でありながら攻撃の対象とされたり、逆に父のときのように、戦時国際法をしっかりと厳守して、捕虜となった日本兵をも丁重に取り扱ったのですから、真逆の対応となっています。
 
「もしかあんにゃ」の言葉は初めて耳にしましたが、同じ事例はよく聞きました。
「なおる」も同様で、やはりそういったケースは全国で見られたのだと思います。
長男という意識が極めて支配的であった当時は、決して望ましいことではなくとも、やむを得ざる選択であったのかもしれません。
現代という平和な時代の価値観では判断ができないことだと思います。

声なき声さん

おはようございます。
いつもコメントありがとうございます♪

私も母からは、空襲の話は良く聞きました。
東京大空襲の時は、結婚していて、広島県呉に
住んで居ましたので、避けられましたが
広島に落とされた原爆のキノコ雲を見たそうです。

戦争の経験だけでは無く もっと色々聞いて於けばよかったと
思う事が多くなりました。
息子達には、子供の頃の事や 親戚の事など
たくさん話しておかなければならないと思うこの頃です。

「もしかあんにゃ」は、新潟弁ですが
多分 同じような状況は全国にあったと思います。
その頃は、家を絶やす事が出来ないと言う意識が
強く有りましたから、誰かが跡継ぎに据えなければ
ならなかったのでしょう。
「なおる」も同じ事ですね。

現在でも その意識は多少ありますが
長男がお婿さんへ行ったケースも有ります。
家族の意識が薄れているのですね。
一昨日記事に書いたように
人間も動物的に 生んで育てるだけの
本能だけの事になりつつあるのでしょうか
嘆かわしい状況なのかも知れません。

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

 | HOME | 

プロフィール


ヨンヨン

Author:ヨンヨン
日本一の米どころ 
新潟で暮らしています。

家で仕事をしながら 
お庭の花を育てながら
のんびり 過ごしています。

お料理と ネコが大好きな
何事も 気にしない!気にしない!
お気楽 おばさんです。


最新記事



月別アーカイブ



カテゴリ


未分類 (285)
入院~入院生活 (50)
経緯 (5)
再発 (8)
退院後の事 (11)
健康になる為に (124)
体の事 (18)
食の事 (84)
運動 (2)
愚痴 (9)
ちょっと一息 (24)
心の事 (18)
怖い話 (9)
毎日の事 (87)
息子の事 (47)
家族の事 (23)
過去の事 (83)
花 (10)
植物 (6)
孫の事 (34)
ある日の事 (71)
今日の事 (262)
お友達の事 (6)
昨日の事 (107)
最近の事 (134)
今日 昨日の事 (19)
仕事の事 (19)
地元ネタ (17)
家の事 (36)
今日 明日 (1)
玄米菜食 (1)


フリーエリア


FC2 ランキング


リンク



最新コメント



FC2カウンター



フリーエリア



フリーエリア



検索フォーム



RSSリンクの表示



QRコード


QR