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夢は叶えるもの 奇跡は起こすもの

夢は、ラッキーな誰かに神様が与えてくださるものではなく、自分自身が描いて、叶えるもの。.と信じて  毎日の出来事、家族の事を  綴っていきます。そこには、「愛」がある。
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43年前のこの日

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今日もご訪問ありがとうございます。

昨日 今日と
秋晴れの良いお天気が続いている。
高い空には、どこへ行くのか
高く 高く 飛行機が飛んでいる。
のんびり 幸せな気分に浸れる。
43年前も こんなお天気だったのだろうか。

43年前の今日11月15日
新潟の海岸から 横田めぐみさんが
北朝鮮に拉致された。

毎年この日 
新潟では「忘れるな拉致 県民集会」が開かれている。
今年も 例年通り 開催される。
コロナ禍で 会場は入場制限があるが
地元新聞のHPで生中継される。

北朝鮮は、事前調査で めぐみさんを狙ったのか
偶然通りかかったので 拉致したのか
真相は全く分からない。

拉致現場は、時折通る事が有るが
神社の森と 海岸の防風林に囲まれて
うっそうとした林が続く道

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近くに住宅が有るものの 街灯も少なく
11月の中旬の夕方6時過ぎは暗く 
拉致にはもってこいの時間帯であったと思う。

めぐみさんのお母さんは
「新潟の海は嫌い」と言われるが
この日の海は どんな様子だったのか
分からないが、日によっては
このように波が立ち 雲が低く立ち込める事も有る。

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警察犬が ある四つ角に来ると
めぐみさんの匂いを追えなくなると言うから
ここで 拉致された事は明白である。

私たち県民は、新聞でも テレビでも
この問題は 取り上げられることが多いし
過去には、街の中心部で 署名活動をする
横田さんご夫婦も見かけているし、
現場を通りかかる事もあるので 感心は 高い。
しかし全国規模では、どれくらいの
関心事なのかは まったく分からない。

ましてや、一国民である私たちが
政府に働きかける手段は
署名活動しかないので、じくじたる思いがある。

同じ拉致被害者 蓮池薫さん達が
飛行機のタラップを降りて来られた映像を
鮮明に覚えて居る。
あの時と同じ情景が 現実のものとなる事を
今日もまた願って居る。

他人である私たちでもそう願うのだから
母親である横田早紀江さんは、
その何百倍 何千倍 数えきれないほどの願いであるでしょう。

その願いが叶う手立てはないのでしょうか。




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小さなトンネルと思い出

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リハビリに通い始めてから 3カ月余りが経つ。
週1回だから 10回以上になる。

病院までの道は 何か所か有るが
朝の時間帯だから 通勤時間と重なって
混む事が多い。

最初の頃 一番混まない道を探して
色々な道を選択したが
最近は 一番空いていると思える
同じ道を通っている。

幹線道路から脇道へ入り
ローカル線の土手の下を通っている。
毎回 ほぼ同じ時間に通っているが
昨日 初めて電車と遭遇した。
乗車している人の顔が見えるくらいだから
土手は、それほど高くない。

電車の音を聞いた時
50年ほど前の事を思い出した。

独身時代 この近辺に勤務していた。
仕事が終わって 帰り道は
上司と同僚と3人で 
この土手の下のトンネルをくぐっていた。
上司と言っても女性である。
トンネルは、背丈より少し高いだけの
小さな低いトンネルだった。

トンネルを抜けて 大通りに出ると
バス停が有り そこからバスに乗っていた。
本来の道は 大回りするのだが
このトンネルが近道であった。

このトンネルに差し掛かると
時間によっては 電車が通過する事が有った。
その時は 首をすくめたくなるような音がした。

バスで繁華街へ出て 乗り換えるのだが
良く この繁華街のスナックへ寄り道をして飲んでいた。
店内が青い照明の「青の洞窟」と言うお店だった。
時には 同僚4,5人と行った事も有る。
行かなくなって 数年してから 探したが
もう無くなっていた。
結構 気に入ったお店だったのだが。

ここで ブランディーをストレートで飲む
美味しさを覚えた。
道路で酔いつぶれる事も無く
無事に家にたどり着いて居たので
それほど飲んでなかったのでしょう。
余程 お酒に強かったのかな(汗)

この時の上司が
夫と出会うきっかけを作ってくれたのだが
今は どうしているのか 連絡は取ってない。

最近 昔の事を思い出すことが多くなった。
年を取ったのだろうか(汗)




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思い出を一つ無くした

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昨年秋に申し込んだ
高校の会員名簿が届いた。

明治36年に設立された学校なので
創立117年になるのでしょうか。
当初は 女性の為の女学校でしたから
クラス名は 「梅 松 桜・・」など
植物名でした。
私の在学中は 12クラス有りましたが
表記する時は 梅組なら 1ウ 2ウのように
書いていましたから 
12個の重なり合わない 誰もが分かる植物名を
よく探して名づけたものだと思います。

なんだか・・幼稚園みたいです(笑)

私たちの卒業直後に 共学になり
それに伴って クラス名も
1組 2組と平凡になりました。

会員名簿を受け取って
その所在を知りたかった2名の人が居ましたが
どちらも住所不明でした。
高校に入学して 初めて会って
仲良くなった人です。
2年生から 別のクラスになりましたが
お互いの家を行き来するお付き合いをしていました。

結婚してからも 近くに住んで居ましたから
子供を連れて遊びに行ったりしていましたが、
ご主人は銀行勤めで 転勤があり、
私も 県外に引っ越したり、
いつの間にか 疎遠になり そのまま
何十年が過ぎました。

その間に 息子達のお母さんと仲良くなったり
仕事を持つようになって
忘れるともなく忘れていましたが
近年 振り返ってみて懐かしく思い
どこに居るのか 元気で居るのか
気になっていました。

当時一緒に仲良くしていた人に聞いてみようと思いましたが
会員名簿作成時 住所不明者の情報提供の
葉書が届いているはずですから
彼女も知らないのだと思います。

ご主人のお勤めだった銀行は
今でも有りますが、
役職にでも付いて居られたのなら
分かるかも知れませんが、
第一 ご主人の名前も忘れちゃいました(泣)

調べる手掛かりは、後一つ
卒業アルバムに実家の住所が載っています。
弟さんが居られたので 
今でもそこに住んで居られるなら
連絡が付くでしょう。
それがダメなら 打つ手なしです。

思い出を一つ無くしたような
寂しい気分です。




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お祝いの出来ないお誕生日

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今日は、彼女のお誕生日だ。

彼女と言うのは、私が初めて就職した
職場の先輩である。

お誕生日なのに、
彼女は33歳から年を取らない。
お祝いのメールも出来ず
私一人で お祝いするだけである。

40年前
彼女は亡くなった。
当時は、病名は分からなかったが
今になって思うと 癌だったと思う。

初めての職場で、
年齢が近かった事もあり
気が合ったせいか すぐに仲良くなり
アパート生活をする私を 良く家に呼んでくれた。

不遇な環境にあり
ご両親が早くに亡くなり
その頃、お姉さんも結婚されて
彼女一人で 家事と二人の弟さんの世話をして
過ごして居られた。

明るくて 頼り甲斐が有って
職場は 早番遅番があって
私が自動車学校へ通っている時、
早番が都合良くて その時はいつも
快く交代してくれた。

私が退職して 結婚し
新潟に住んで居る頃は、
年賀状の交換だけしていた。
当時は 携帯も無い時代だったし、
固定電話に電話する事も無かった。

長男が生れて少しした頃
当時の同僚から 連絡があり
彼女が入院していると聞いた。

急を要する容態とは知らずに
長男が小さかった事や
車で1時間半程かかる所だった事もあり、
1か月ほどして お見舞いに行った。
その頃、まだ 話しは出来る状態だったが、
酸素テントに入っていた。

何を話したか忘れたが、
結構 元気だったので、
いずれ退院して来ると思っていた。
今なら、もう酸素テントに入るくらいなら
先も短い事は 分かると思うが、
無知であった。

その後 亡くなったのだが
命日が何時だったのか 記憶に無い。
それでも 不思議とお誕生日だけ覚えている。




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ウソのような本当の話

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昨日 新潟県の自慢出来ない事柄 事件について
書いた時 思い出した事が有った。

私が中学生の頃の知人の事件です。

その知人は、
人前では、静かな聞き取れない程の
声で話す気の弱い優しい男性でした。
これを 蚊の鳴くような声と言うのでしょう。

地元の工業高校で電気の勉強をして、
卒業後 山奥のダム建設の職場に就職した。

そんなに物静かで 気の弱い人が
ある日 近くの民家に強盗として押し入ったのです。
お金が欲しかったのか 
山奥でストレスが溜まったのか分かりません。

その家のおばあちゃんに見つかって
包丁を持つ手が震えていたそうで
それを見て 気の弱さが分かり
早く逃げるように促されたそうですが
足がすくんで逃げられないうちに
若い人が戻って来て 警察に御用になった。

その後 数年間他県の刑務所に入っていて
父は、その人のお母さんを連れて
何回か面会に行っていました。

包丁と言う凶器を持っていたと言う事で
刑期が結構長かったようです。
本来 真面目な人でしたから
模範生で刑期を終えて 出所時には
また 父とお母さんが迎えに行きました。

その後 事情を理解する親方の職場に就職をして
真面目に仕事をしていたそうです。
そして 結婚もして 子どもが生れたのですが
悲劇が有りました。
生まれつき 肛門が存在していない子だったそうです。

現代の医学では、人工的に肛門を作る事が
可能になって来たようですが 昔の事
どのような手術をしたのか分かりませんが
何回も入院していました。

その知人は、
自分が起こした事件の結果が
自分に戻って来ないで 
子供に及んだと悔いて 悩んだそうです。

これは、何の因果関係も無い
偶然の出来事でしょうけど
当事者がそう思われるのは、もっともな事と思います。

私は、物事が分かる年齢でしたから
一連の出来事は 聞いていましたが、
その後の事は、どうなったのか知りません。

知人が生きていられれば 
もう80歳近いでしょう。
その子供さんも
もう 50歳は越えていると思います。
悩み多い人生を送られたのかと思うと
辛い出来事でしたね。

嘘のような本当の話でした。




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高校時代の思い出

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出身高校の 同窓会報が届いて、
しばしの時 昔の思い出に浸る事が出来た。

この高校は、明治36年の開校なので116歳になりました。
私が、通っていた頃は、開校時のまま 女子高でしたが、
1974年に 男女共学になり、
共学の4期生が、今年は校長先生として
赴任されたようです。

年月の経つ早さに驚いて居ます。

在学中は、線路際に学校が建っていて
JRの駅は 遠かったですが、
(当時は JRでは無く 国鉄)
私鉄の駅が近くにあって、その電車で通学していました。

彼の有名な 田中角栄の関係する私鉄でした。

授業が終わって、一番早い電車は 5分後くらい。
この電車で帰りたい時は、最後の授業が
終わりそうな頃に 帰り支度をして
終業のベルが鳴ると先生より早く
教室を出ないと 間に合わなかったです。

その上 電車の改札口は 踏切のあちら側で
電車が来てしまうと 踏切が閉まって
乗れなくなってしまいます。

車掌さんが 待ってくれた事もあります(^^ゞ 

第一次ベビーブームの子供達ですから
高校もマンモス高校になっていて、
1学年12クラスありました。

お昼休みになると 
フォークダンス「マイムマイム」の音楽を合図に


画像は出ません 音楽のみ
不具合ではないです(笑)

グランドで 約1,000人の生徒が
フォークダンスを楽しんでいました。
それも 雨が降らなければ 毎日毎日
壮観だったと思います。

高校3年生の時
校舎が 少し離れた場所に移転し
1年間だけ 新しい校舎へ通いました。
何しろ 開校そのままの校舎でしたから
明治の歴史の残るボロ校舎でしたので(^^ゞ

昔は 寄宿舎も有ったので
畳の部屋も有りました。
授業には使っていませんが 茶道部が使っていました。

やはり、高校3年生の時
校名改称の問題が持ち上がって
生徒会の集会が持たれて 激論が交わされた。
私達が卒業してから 校名が変わりましたけど。

会報を見ていたら、
住所不明者の調査にご協力ください 欄に
懐かしい名前が 何人か載っていました。
けど、どうされたのか 連絡先は知りません。

この方たちは、高校時代のお友達は
居なかったのでしょうか。寂しい事ですね(>_<)




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過ぎ去った父の日の事

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過ぎる事1週間前の父の日

息子達が父の日外食へ行くと言うので
誘われて 行って来た。
多分 お財布目当てだと思いますが・・(笑)

お座敷に 子供の為の滑り台と 
遊び場のあるイタリアンのお店。

行って見たら、先客が有り
大人が7人 おじいちゃんと思われる年配の方が
生れて数か月の赤ちゃんを抱っこして居られた。

我が家の孫達3人は、
早速 滑り台で遊び始めた。
しばらくすると 先客の方達が
ソファー席の方に移動して行かれた(^^ゞ

少し 申し訳ないような気がしたが、
ここに遊び場が有るから 仕方ないよね・・と言った。

どちらが先の予約か分からないが、
お店の方は、我が家の子供たちの年齢から言って
遊ぶのは分かって居た事なので、
このような組み合わせの相席は、
避けるべきだったと思うが、
お座敷は ここしか無いので仕方ない事だったのでしょう。

Sちゃんは、すっかりRちゃんに懐いて
一緒に 滑り台を滑った。

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Rちゃんもお姉さんらしく 危なくないように 
気配りをしながら 面倒をよく見た。

Sちゃんは、滑り始める前に 
「滑るぞ~」と声をかけると、
「お~!」と片手を上げて 気合を入れて滑っていた(*^。^*)

従姉弟たちが仲良く遊ぶ姿は、本当に微笑ましい。

お蔭で
久しぶりに Sちゃんに振り回されない食事が
出来たように思う。

男の人が少し苦手なSちゃんは、
真ん中息子には、距離感が有ったが
M子さんを「ママ」と呼んだ(^^ゞ

ママが何を意味するのか分からずに
RちゃんKちゃんが「ママ」と呼ぶからだと思う。

大きくなれば、理解出来るが
自分たちを
一般的な「パパ ママ」ではなく
「お父さん お母さん」と呼ばせることに
少し戸惑いを見せる 末息子夫婦でした(^^ゞ



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  昨日の親友S子さんの事だが
  今日 内視鏡で診てもらったら
  現物の骨は、もう下へ送られて無くなっていたが、
  食道の入口の左右に 小さな傷が付いていたそうです。
  数日で 自然治癒するそうで ホッとしました。
  

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胸が締め付けられるような 懐かしさ

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最近 ラジオ離れが進んでいるらしい(^^ゞ

若い頃から、ラジオを聴き
今でも、寝る前と起きた時に 
ラジオのスイッチを入れる私には、
少し寂しい気もする。

ラジオの深夜放送を良く聴くようになったのは、
受験勉強と言いつつの夜更かしだった。

その後 学生生活の時も就職してからも
良く聴いていた。
そして、嵌まったのは、
TOKYO FMがキー局の音楽番組
『JET STREAM』(ジェット・ストリーム)



放送開始から、パーソナリティを努めた城達也さん
いつか声の好き嫌いがあると記事に書いたことが有るが、
私は、この声が好きだった。

ラジオ番組なので顔も姿も見えないのに
機長という設定に入り込むため、
必ずスーツを着用していたという。
機長と呼ばれるのに相応しいジェントルマンで
ストイックな人柄だと知ってから、
この番組に益々魅了されていった。

1994年12月31日が最後の放送に
なったそうですが、
その間に、結婚して子育てが有って
深夜にラジオなど聴ける状態ではなく
忘れるともなく忘れていた。

その後 亡くなった事を知り
もう、あの声が聴けないと思うと
無性に聞きたいと思う。

今でも、オープニング曲
『ミスター・ロンリー』を聴くと
胸が締め付けられるような 懐かしさを感じる。

飛行機が飛び立つジェット音と
暮れて行く景色を眺めながら
飛行機で飛び立つ事が、好きなのは、
その頃の思い出からかも知れない。




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遠い懐かしい思い出

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新潟県の豪雪地帯 十日町
ここの雪祭り雪像作りで
死者が出る事故が起きてしまった。

この街に住むお友達に誘われて
雪上カーニバルを見に行ったのは
もう 50年程前の事になる。

この年のテーマは
「花蝶舞い立つ」

森進一の「花と蝶」が流行った翌年の事です。


十日町市は『絹織物』の産地として有名
雪上の舞台では、着物ショーが開かれた。

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(十日町雪まつり実行委員会から頂きました。)

雪の降る中 現在のように ダウンなどの
温かいコートを着ていた訳でも無く
寒かった記憶が鮮明です。

何しろ 周囲は 雪 雪 雪

混雑で迷子にならないように
そのお友達と 手を繋いでいて
終わった時は、手の中の汗と外の雪のせいで
お友達の手袋の赤が 私の白い手袋を
真っ赤に染めました。

その後 縁が有ってこの街に
職場を得る事になり、
数回 カーニバルを見ましたが
この時が一番 印象深かったです。

この町に
赴任した時 間借りしていたお家の
ご主人は、着物の意匠(デザイン)の
仕事をしていられた。

細かい升目をドットで埋めて行く
08_201902051729227d5.jpg
気の遠くなるような作業をしていられた。

奥さまは、家の離れの小屋に
機織り機を置いて、機織りをしていられた。

私は、仕事休みの日など
この小屋で、奥さまと一緒に
縄跳びをして過ごした事もある。

遠い懐かしい思い出です。




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引き渡しのの日

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9月25日(火)

引き渡しの日
朝から、下水道の業者が来て
以前に 掘って有った場所を 再度掘り
新しい家の下水道に繋いだ。

それは、事の始まりであって、
ガス 水道 お風呂 床暖
ブロバイダーさんのパソコン設定
玄関電子錠の設定 セコム
次々に業者さんが来て 説明をしてくれるので
私の頭の中は、フル回転

工事中は、ガスもお水も使えなかったので
Yさんが、お昼のお弁当を持って、
キッチンだけ使えるようにしようと、
食器を片付けに来てくれた。
食べる事は、1番大切だからね(^^ゞ

後で、使いやすいように直してと
とりあえず、種類別に 片づけてくれた。

連休明けであり、
事情を知らない人が仕事の電話をして来たり
お正月に お盆に 結婚式に お葬式に
すべてが同時に来たような忙しさだった。

不都合があって、何回も来てくれる業者もあり、
入れ替わり立ち代わり 人が出入りするので
人疲れと 器具の使い方を覚えるのに
体も 頭も疲れ切った(>_<)

夕方は、末息子夫婦が
ご苦労さまの外食に誘ってくれた。

この日は、
軽く カニ雑炊が、食べられるくらい疲れた。

この日も、まだベッドが無く
新しい家で、初お風呂に入り
前の家に戻って使い慣れたベッドで
寝たが、トイレの無い家だった(笑)

ソファーで寝ても良かったが
やはり ベッドでゆっくり休みたかった。




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プロフィール


ヨンヨン

Author:ヨンヨン
日本一の米どころ 
新潟で暮らしています。

家で仕事をしながら 
お庭の花を育てながら
のんびり 過ごしています。

お料理と ネコが大好きな
何事も 気にしない!気にしない!
お気楽 おばさんです。


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